
自由律俳句の俳人、種田山頭火は、1882年に生まれ、子供の頃の母の自殺や、経営していた会社の倒産、一家離散などの境遇ののち出家。その後、放浪の旅をしながら数多くの句をつくった。旅を愛し、酒を愛し、世捨て人のようだった山頭火は、1940年に、松山の庵で亡くなる。庵で行われた定例の句会のあと、酒を飲み、眠っていた山頭火は、脳溢血を発症し、そのまま死去。死因は心臓麻痺だったと言われている。彼が望んでいたように、まさにピンピンコロリといった最期だった。辞世の句は、雑誌に掲載された「もりもり盛りあがる雲へあゆむ」とされている。湧き上がるような夏の入道雲のほうに向かって力強く歩いていく様子が描かれているのだろうか。ただし、日記では、これよりも後に詠まれた句もある(参考 : 山頭火、最後の句 – 山頭火ふるさと館)。